広島地方裁判所 昭和63年(ワ)173号 判決 1991年1月30日
原告
平岡武彦
ほか一名
被告
迫勝昭
主文
一 別紙交通事故目録記載の交通事故に基づく原告の被告らに対する損害賠償債務が存在しないことを確認する。
二 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
主文一項同旨
第二事案の概要
本件は、被害車両と衝突事故を起こした加害車両の運転者(保有者)が被害車両の運転者及び同乗者に対し右事故に基づく損害賠償債務が存在しないことの確認を求めた事案であるところ、被告らと搭乗者傷害保険契約を締結している保険会社が右保有者(原告)を被参加人として補助参加している。
一 争いのない事実
1 被告らは、原告に対し、主文一項記載の損害賠償債権を有すると主張している。
2 交通事故の発生
別紙交通事故目録記載のとおりの交通事故(以下、「本件事故」という)が発生した。
3 責任原因
原告は、加害車両を保有し、自己のため運行の用に供していた(自賠法三条)。
二 争点
1 被告らは、本件事故により、被告迫が頸椎捻挫、腰部捻挫の、被告北ケ市が頸椎捻挫の各傷害を受け、本件事故当日の昭和六三年一月九日から同年五月四日まで通院し、其の間就労することができなかつたと主張している。
2 一方、原告は、本件事故は極めて軽微な追突事故であり、被告ら主張にかかる傷害が発生するはずがなく、仮に被告らに頸部痛等の症状があるとしても、被告迫の場合は昭和五七年及び同五九年の二度にわたる交通事故による後遺症に、被告北ケ市の場合は心因性の自覚症状にそれぞれ起因するものであつて、本件事故との間に因果関係がないと主張し、補助参加人も右と同様の主張をしている。
3 なお、被告らは、本件事故に基づく損害について、次のとおり主張している。
(一) 被告迫
(1) 休業損害 一五八万一二〇〇円
平均給与日額 一万三四〇〇円の一一八日分
(2) 通院費 三万円
(3) 慰謝料 六〇万円
(以上合計二二一万一二〇〇円)
(二) 被告北ヶ市
(1) 休業損害 七二万八〇六〇円
平均給与日額 六一七〇円の一一八日分
(2) 通院費 三万円
(3) 慰謝料 六〇万円
(以上合計一三五万八〇六〇円)
第三争点に対する判断
一 本件事故の発生については当事者間に争いがないところ、証拠(甲八の1ないし15、一〇の1、2、乙一、三ないし六、証人福本正美、被告迫本人、同北ヶ市本人)によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
1 被告迫及び北ヶ市は、本件事故当日の昭和六三年一月九日に福本整形外科医院で受診し、同病院の医師である福本正美から、被告迫が頸椎捻挫、腰部捻挫と、被告北ヶ市が頸椎捻挫とそれぞれ診断され、同年二月九日まで同病院に通院したが(実日数はいずれも二六日)、同月二七日にマツダ病院に転医した。被告両名はマツダ病院に二、三日に一日の割合で約二か月間通院したが、担当医による診断はいずれも頸部捻挫であつた。
2 被告迫は、福本整形外科医院において、頸部痛、左肩痛、腰痛等の症状を訴え、右症状は改善されないでむしろ増悪していつたところ、スパーリングテストの結果が陽性、ラセーグテストの結果が左右とも昭和六三年一月一九日には四〇度、同月二八日には五〇度(正常値九〇度)、握力が右二五キログラム、左二四キログラムであつた(もつとも、福本医師が初診日の一月九日にスパークリングテストを実施しようとして被告迫の頸部を他動的に動かそうとしたところ、強い抵抗があり右テストを行うことができなかつた)。なお、レントゲン検査の結果は、第五、六頸椎間に狭小化が、第四、第五腰椎角に軽度の骨棘形成がみられた。
治療としては、福本整形外科医院において、通院当初から投薬、注射、湿布の各治療が、理学療法として同年二月二日からマイクロウエーブ(極超短波)が、同月三日からはマツサージが行われ、マツダ病院においては、主として薬物療法及び牽引の理学療法が行われた。
3 被告北ヶ市は、福本整形外科医院において、通院当初頸部痛のみを訴えていたが、昭和六三年一月一三日に左眼の疲れ、同月一六日には右手指のしびれ、同月一九日頃からは両手指のしびれ、両上肢の倦怠感、左の耳鳴り等の症状を訴えるようになり、右症状は徐々に増悪していつたところ、スパーリングテストの結果は陽性であつたが、握力については、同月一三日に右二二キログラム、左一八キログラム、同月二一日には右二四キログラム、左二一キログラム(いずれも正常値)であつた。なお、レントゲン検査の結果は、第四、第五頸椎間に狭小化がみられた。
治療としては、被告迫の場合と同じく、福本整形外科医院において、通院当初から投薬、注射、湿布の各治療が、理学療法として同年二月二日からマイクロウエーブ(極超短波)が、同月三日からはマツサージが行われ、マツダ病院においては、主として薬物療法及び牽引の理学療法が行われた。
二 しかしながら、一方、
1 前記争いのない事実に加え、証拠(甲一の1ないし3、二の1ないし4、五の1ないし5、六、乙七ないし九、原告本人、被告迫本人の一部、被告北ヶ市の一部)を総合すれば、本件事故の態様及び状況等について、次の事実を認めることができる。
(一) 原告は、本件事故当時、加害車両を運転して本件事故現場付近を北方から南方に向けて進行中、先行していた被告迫運転の被害車両の停止に伴つて、同車の後方約三・二メートルの地点で停車した。
本件事故現場道路は、アスフアルト舗装され、南方に向かい緩やかな下り勾配であつたところ(被告迫本人は、呉の県土木に問い合わせた結果、三七パーセントか三八パーセントの下り勾配であつたと供述しているが、右数値は〇・三七パーセントか〇・三八パーセントの誤りであると推認される)、原告は、右停止後、チエンジギアをローに入れ、サイドブレーキを引く前にフツトブレーキをはずしたため、加害車両がゆつくりと前方へ動きだし、停止中の被害車両に追突した。
(二) 加害車両は国産車のダイハツ・ミラクオーレで車両重量が五三〇キログラムあり、原告の体重が約八八キログラムで、同乗者はなかつたが、積荷としてタイヤ三本(約一〇キログラム)を積んでおり、車両の総重量は、約六二八キログラムであつた。
被害車両は外車のフオード・カプリで車両重量が一二八〇キログラムあり、被害車両には被告北ヶ市が六歳の子供を抱いて助手席に同乗していたところ、体重は被告迫が約五九キログラム、被告北ヶ市が約五四キログラム、子供が約二三キログラムで車両の総重量は、約一四一六キログラムであつた(したがつて、本件事故当時の車両の総重量は、被害車両が加害車両の約二・二五倍であつた)。
(三) 被告迫は、停車後サイドブレーキを引いた状態にしていたところ、加害車両の追突後、被害車両は、その場に停止したまま移動せず、移動したとしてもごく僅かであり(ちなみに、原告及び被告迫立会いのもとに昭和六三年一月一四日に行われた司法警察員作成の実況見分証書<乙七>添付の交通事故現場見取図にも、被害車両は追突された後その位置に移動がなかつたものとして図示されている)、加害車両は、その前部を被害車両の後部に接着させたままの状態で停止した。
(四) 車の破損状況は、被害車両の後部バンパーカバー右に擦過痕と凹損(軽微)、バンパー内部のリインホースメントに曲がり(軽微)、右テールランプ(尾燈)にレンズの外れ(接着剤の外れ)があつたが、加害車両の前部には外見上明確な損傷はなかつた。
被害車両の修理については、後部バンパーカバーと同リインホースメントの交換、修理箇所の塗装及びテールランプリムの修正が行われ、右修理費用として一六万五四〇〇円(部品代一三万三四〇〇円、工賃三万二〇〇〇円)を要した(なお、車両の損傷の程度に比べて修理費用が多額であるが、それは部品を一部修理しないで交換したことと外車であるため部品代が高価であつたことによるものと認められる)。
なお、加害車両については、修理は全然行われなかつた。
(五) 原告は、安全運転義務違反の罪(道路交通法七〇条、一一九条二項一項九号)で略式起訴され、昭和六三年二月一八日、罰金一万三〇〇〇の略式命令を受けた。
もつとも、被告迫及び同北ヶ市各本人は、加害車両の追突により被害車両が前方に押し出されたと供述しているところ(その程度につき、被告迫は、五〇センチメートル位であると、被告北ヶ市は、何メートルかはわかりませんが、かなり前に出たと思うとそれぞれ供述している)、前掲実況見分調書(乙七)の指示説明、原告及び被告迫の捜査段階に対する供述調書の記載内容(乙八、九)、前記認定にかかる車両の破損状況等に照らし、俄に採用することはできない。
2 被告迫本人は、ヘツドレストから首を離し、体は真つ直ぐ前にしたまま、顔をちよつと横に向けて助手席の被告北ヶ市と話をしていたところ、(追突された後)大きな衝撃があり、首が後ろに行つてヘツドレストに当たり、それから前に行つた、また、後部座席に積んであつた被告北ヶ市の買物の品とハンドバツクが落下したと供述し、被告北ヶ市本人も、追突された時かなりのシヨツクで一瞬わからなくなり、首ががくつときて前後に動いた、また、後部座席に積み重ねていたバツク、お菓子の入つた箱、化粧品の入つた箱が後部と前部の座席の間に落下したとそれぞれ供述している。
しかしながら、追突された被害車両が停止したままで前方に移動しておらず、移動したとしてもごく僅かであることは前記1に認定のとおりであるから、経験則上、被告らの供述するような衝撃や首の移動等が生じるかどうか大いに疑問であり(被害車両が全く移動しなかつた場合、追突による加速度はゼロのはずである)、また被告らの供述内容は前記認定にかかる車の破損状況からも不自然であるというほかなく、被告ら本人の右各供述部分を採用することはできない。
3 証拠(甲八の13、九、乙二、証人福本正美、被告迫本人)によれば、被告迫は、本件事故前に昭和五六年六月二六日、昭和五七年一月二二日、昭和五九年一月六日の三回交通事故に遭遇していること、被告は、昭和五七年の事故では、頸背部挫傷、左肩挫傷の傷害を受け、頭痛、頸部痛、左肩痛、左上肢のしびれ等を訴え、頸椎、左肩に運動制限があり、レントゲン検査の結果として第五、六頸椎間に狭小化がみられ、昭和五八年二月二八日に右症状が固定したものと診断されたこと、昭和五九年の事故では、頸椎捻挫、腰部捻挫の傷害を受け、頸部痛、左肩から上肢にかけての脱力感としびれ感等を訴え、頸部、左肩、腰部に運動制限があり、レントゲン検査の結果として第五、第六頸椎間に狭小化が、第五腰椎に軽度の骨棘形成がみられ、昭和六〇年二月二八日に右症状が固定したものと診断されたこと(自賠責保険後遺障害診断書である乙二には、後遺症の見通しとして、症状が永続するものと思われるとの記載がある)が認められ、右の事実からすると、福本整形外科医院におけるレントゲン検査所見である被告迫の第五、六頸椎間の狭小化及び第四、第五腰椎角の骨棘形成が本件事故に起因するものでないことはもちろんのこと(なお、証人福本正美の証言によれば、右狭小化及び骨棘形成は、経年性変化(退行変性)であり、過去の事故に直接起因するものでないことが認められる)、前記1に認定の被告迫の症状は過去の交通事故の後遺症とほぼ同じ症状であり、しかも、本件事故当時右症状が残存していたものと推認する余地がある。
もつとも、被告迫本人は、本件事故当時、昭和五九年の事故による症状は完全に治つていたと供述しているが、右のとおり、前記1に認定の被告迫の症状が過去の事故による後遺症とほぼ同じ症状であることに加え、証拠(甲八13、証人福本正美)によれば、被告迫の担当医である福本医師は、被害車両を見ても破損状態がはつきりとわからない程度であつたため、過去の事故による受傷の場合と同様に被告迫が頑固な症状を訴えることに疑問を抱き、患者である被告迫との信頼関係を維持することができず、他の医師にも診察してもらうことを勧めたことが認められることを考えると、被告迫本人の右供述部分を直ちに採用することはできない。
4 証拠(甲八の6、証人福本正美)によれば、福本整形外科医院におけるレントゲン検査所見である被告北ケ市の第四、第五頸椎間の狭小化は、経年性変化(退行変成)であり、本件事故に直接起因するものではないこと、被告迫の担当医である福本医師は、他覚的所見が少なかつたことから、被告北ケ市の症状には心因性の要素が大部分を占めているものと考えたうえ、被害車両を見ても破損状態がはつきりとはわからない程度であつたため、被告北ケ市が頑固な症状を訴えることに疑問を抱き、患者である被告迫との信頼関係を維持することができず、被告迫の場合と同様他の医師にも診察してもらうことを勧めたことが認められるから、被告北ケ市の症状は、専ら心因性の自覚症状に過ぎないものと推認する余地がある。
5 一般に、頸椎捻挫が単なる捻挫にとどまらず、神経根にまで障害を及ぼしている場合(いわゆる神経根症)には、<1>障害された神経根の支配領域に現れる自発痛、放散痛、知覚障害、<2>筋力の低下、<3>反射異常のあることが指摘されており、<1>の有無を判断するためのテストとして、スパーリングテスト、ジヤクソンテスト等が知られている(スパーリングテストとは、担当医が患者の頸部を傾けて下方に軽く押しつけることによつて行い、神経根に障害がある場合には、神経孔が狭められるために肩や腕あるいは手先に放散痛が生じ、このテスト結果を陽性反応という)。
ところで、被告迫の場合、福本医師が初診日の昭和六三年一月九日にスパーリングテストを実施しようとして被告迫の頸部を他動的に動かそうとしたが、強い抵抗があつたことは、前記一2に認定のとおりであるところ、このことはいささか不自然であり、被告迫の作為が働いたのではないかとの疑問があり、ひいては後日に行われた被告迫に対するスパーリングテストの陽性反応についても疑念が生じる。
また、被告北ケ市の場合には、スパーリングテストの結果が陽性であり、その意味では神経根症を疑わせるにもかかわらず、一方、握力が正常値であるというのは筋力の低下がないということであつて、逆に神経根症を否定する証左でもあるという矛盾した結果となるから、被告北ケ市に対する右スパーリングテストの陽性反応についても疑念が生じるものというほかない。
三 以上二の説示に加えて、一般に、軽度な追突事故における受傷の場合、他覚的所見に乏しく、その診断及び治療が被害者の愁訴に依拠しすぎて行われる危険性を否定できないところ、本件においても、理学的所見(担当医が聴診・打診・視診・触診し、あるいは簡単な道具を使用して角度や視力を測り、反射の有無を確かめるなどの方法による広義の他覚的所見であり、単なる自覚症状とは俊別されるべきであるが、患者の作為が入り込む余地のあることも否定できない)ともいえるスパーリングテストの結果には疑念あること前記のとおりであるし、機械による科学的検査所見(レントゲン、デイスコグラフイー、ミエログラフイー、CT、MRIなどによる狭義の他覚的所見)の存在を認めるに足りないこと(なお、被告らのレントゲン検査所見について、これを本件事故によるものと認めることができないことは、前記二3、4に認定のとおりである)、被告らの担当医が被告らの愁訴に疑問を抱いていたことを併せ考えると、被告らに認められる経年性変化の存在が症状の発生を容易にするという面があること(証人福本正美)を考慮に入れても、前記一に認定の事実から、本件事故によつて被告ら主張にかかる傷害及び症状が現実に生じたものと断定するには躊躇せざるをえず、少なくとも本件事故と右傷害及び症状との間に相当因果関係を認めることはできないものというべきである。
(裁判官 内藤紘二)
交通事故目録
一 日時 昭和六三年一月九日午後一時二〇分頃
二 場所 呉市広徳丸町二〇芳渕隧道南詰道路上
三 加害車両 原告運転の軽四輪貨物自動車(広島四〇こ二九六三)
四 被害車両 被告迫運転の普通乗用自動車(広島三三さ三四三)
五 被害者 被告迫(被害車両の運転者)
被告北ケ市(被害車両の同乗者)
六 態様 被害車両に加害車両が追突した。